私は学生時代はブラックなガソリンスタンドでアルバイトしていた時期がありました。
上の記事で書いていますが、私はそこそこバイト先で酷い目に遭いました。身に覚えのない失敗の罪を着せられ、ケツを思いっきり蹴られたこともありました。
このバイト先で働いていたころの夢を今も見てしまうくらい今もトラウマです。けど、サラリーマンになってからの超絶仕事ができずに干されるまでの経験のほうが、トラウマは大きいです。
ブラックバイトは所詮バイトでいつでも辞めていいと思える精神的余裕があった。
平凡な人間がまともに生きていくにはサラリーマンと言う道が一番王道なわけですよね。もちろん派遣でも非正規でもない、正社員としての生き方がね。その王道な道で人生で最も大きな挫折を味わったのだから、その絶望感の大きさは想像以上のものでした。
私は学生の頃から正社員以外は普通に生きていくのが困難だという考えを両親含め、周りから言われ続けました。
高校生の頃、校舎内に、正社員とフリーターの年収格差はこんなに広がると言ったキャッチコピーのポスターがあったのを覚えています。正社員とフリーターで20代までは良いが、30代から給料に格差が出始め、40代を超えるとバイトでは雇ってもらえなくなり、そこから悲惨な貧乏生活を送ることになるといった恐怖を植え付けるような内容だったのを覚えている。
この頃から、私はこの日本でまともに生きていくにはちゃんと正社員になって働かなければならないと思ったものだ。
しかし、実際正社員になって、その生き方が普通の人間に比べて私には非常に困難だと悟った時の絶望感は大きかった。ガソリンスタンドでアルバイトをしていて、そこでもダメバイトだったので、ある程度は仕事ができないとは思っていた。しかし、普通のサラリーマンはガソリンスタンドのDQNスタッフみたいに暴力、暴言はしてこないまともな人が多いだろうと当時は思っていましたから、何とかやっていけるだろうと思っていました。
だが、それは職場にDQNがいるかいないか以前の問題だった。サラリーマンになってから待ち受けていたのは、ホワイトカラーの仕事の難しさ、仕事ができない故の周りの人間の非情なまでに冷たい扱いと、そして自分のあまりのコミュ障ぶりと対人恐怖症ぶり。私は劣りに劣っているんだという目を背けたくなる現実だった。
そして、ここで辞めてしまったら、まともな生活を送れなくなるという考えにより、自分で心理的に逃げ場のない状況を作りあげてしまったせいで、絶望感と虚無感は更に大きいものになった。
アルバイトの時みたいに、どうせ辞めればいいという考えを持つことはできなかった。だって、辞めてしまったら自分にまともな他の職に就くことができない。学生時代からそのように洗脳されてしまっていたからね。
労働環境的にはアルバイトのほうが暴力を振るわれたり、ありえない扱いを受けて酷いものだったわけだが、それでもサラリーマンになって自分がサラリーマンという誰もが選択する道でやっていくのは困難だということと、今後生きていけるのかといった不安がいっきに襲い掛かった時の絶望感に比べりゃマシに思えてしまっています。
そう、やっぱ逃げ場があるかないかの違いだったと思うんですよね。
今はセミリタイアを目指すようになったので、人生に逃げ場ができ、精神的にも余裕を持てるようになれましたがね。