幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合った時だ

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以前、というかだいぶ前に「イントゥ・ザ・ワイルド」という映画を見たけどね。

裕福な家庭で生まれた青年が、金で物を与えてくる両親に嫌気がさし、世界の真理を求めてアラスカに旅に出るという話。

フィクションではない、実話を基にしたノンフィクション映画だ。ちょっとドキュメンタリータッチな感じで描かれている。

さて、この映画にはこんな名言が出てくる。アラスカの旅を通じ、主人公の青年が最後に書いた名言だ。

幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合った時だ

主人公の青年は、旅の最中、様々な人と出会いながら旅をする。

色々な人間と交流を築きながら、青年が一番感じた真理だとは思う。

過保護気味の両親に嫌気は差し、孤独に旅を続けたが、結局は実家へ帰りたくなったのだろうと一番感じることができる名言でもある。

ま、自然の中で狩猟しながら食べて生きていくのも限界を感じている描写もあったけれども。

しかし、この「幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合った時だ」って、凄い印象に残る言葉ですね。

自分はセミリタイアを目指している身であり、今後結婚もする気もない、孤独で生きていく身にとっては結構響いたよ。

よく人間は孤独には耐えられないというが、自分の話を聞いてもらえる相手がいるということは人間にとっては幸福なことで、相手がいない場合、この幸福は実現しないということなのかと思ってしまう。

しかし、そうは言っても、セミリタイアしてる独身はTwitterやブログ見てると、幸せそうに見える。

これは、セミリタイア者が、Twitterやブログを通じて、自分に起きた出来事、生活の一部を公開し、それを見た読者たちは共感して、コメントしたり、いいね付けたりすることで、発信した者は、承認欲求的なものが満たされ、更に幸福になれているということなのだろうと思う。

私も海で釣りあげた魚をよくTwitterにアップしているが、いいねや「すごいですね!!」などのコメントがたくさん来ると嬉しいもの。(セミリタイアアカウントならぬ釣りアカウントになりつつあるが・・。)

そう、孤独であろうと、Twitterなど、自分の気持ちを発信できる場所があれば、幸福は実現できるということではないのかな。

誰かと分かち合えれば良いのだ。相方がいなくて、孤独であろうが、幸福を分かち合える誰かがいれば良いのだ。

それが友人、親、Twitterの(自分に好奇心を抱く)フォロワーであろうと、良いのだ。

みんながSNSが好きなわけである。

ちなみにこの映画「イントゥ・ザ・ワイルド」、かなりお薦めです。他にも名言多数で考えさせられる映画。1人で生きていくって何だろうなって考えさせられる。

そして、最後は泣いてしまいました・・。セミリタイア者は特に必見だと思います。

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