私は幼い頃から、人前に出るのが嫌いで、おどおどした性格をしていた気がする。
以前、対人恐怖症になってしまう理由について、記事で書いたことがある。
記事内ではこんなことを書いた。
「ちょっとでも間違ったことをしてしまうと、人から制裁を食らってしまう。そしてそれは悪いことなんだ。」と脳内でプログラムされてしまい、以後「人を怒らせる=悪いこと」の方程式が自分の中で成り立ってしまったと思います。
そして怒られたら、自分を責めなければならない。悪いことをしてしまっているという意識を持ってしまうわけですから。
そして他人からも悪いことをする人間だと思われたくない。
人から怒られるというのは、恐怖とともに罪悪感なども襲ってくるようになった
上記の結果、私は極端に人を恐れるようになったと今でも考えています。
しかし、これは私の友人の話なのですが、中には私以上に厳しく育てられた方がいるんですよね。
それは、ルールを破ると、殴る蹴るの暴行を加えられたというもの。虐待じゃね?
彼は2人兄弟の弟のほうなのですが、兄はぼこぼこに殴られて、骨折もしたことがあるとか・・。
しかし、こんな境遇の中育っていても、その友達は他人に対して物怖じしないんですよ。仕事も普通にうまくやってるみたいなんです。コミュニケーション能力も高い。
あれ?これってもしかしてコミュニケーション能力が低いことにより、相手を怒らせたくなくても無意識に苛立たせて怒らせてしまい、さらにコミュ障による自信の無さが外面に表れることから、相手も強気に出やすくなり、こちらとしては更に相手に恐怖するようになるという悪循環が生んだものなのか・・。
そうかもしれませんね。
ところで肝心のコミュニケーション能力は、私はなぜ築けなかったか?
それはやはり過去に原因があると思っています。
私は、幼い頃はやはり友人がいなかった。幼稚園の頃も1人で遊んでいることが多かったし、誰かと馴染むことはできていなった気がする。それでも1人で遊ぶのは結構楽しんでいた。
ただ、ここで他人との交流をしっかりしなかったから、どんどんコミュニケーション能力が他の子たちと差が出てしまった。
そして、小学生になっても、更に大して友達ができずにいたので、コミュニケーション能力を高める機会を得ることができずに、更にコミュ障への道へと進んでいた。
こういうことなのかな?
それと家庭環境・・。
うちの両親は一度離婚していて、私には産みの母親と育ての母親がいるのですが・・。
産みの母親が結構ネグレクト気味でした。
仕事と言って、実は遊びに出かけていたり、ジムに行ったりしていて、幼い頃にあまり構ってもらえた記憶が無いんですよね。
それを見た父親が、母親に「せめて夕方の5時には帰ってきて、夕飯くらい作ってくれ。」と頼んでいたとか・・。(それまでは父親が夕飯を作っていた。毎日カレーだったけど)
まあそれで一時期夕方5時にはしっかり帰ってきて、夕飯は作ってくれたけど、「夕飯食べ終わったら、自分の部屋に行ってね。」と夜10時を過ぎるまでは母親がいるリビングには入室させてもらえませんでしたね。
1人の時間が欲しかったのでしょう。
それも影響してなのかな?私は1人でいる時間が多くなり、1人で遊ぶことも何とも思わなくなったのは。幼稚園児から小学校中学年の頃までは友達がいなくても全く気にしてませんでしたから。
まあ、小学校中学年の頃には一応友人は2人くらいいましたけどね。
でも、もうそのころには手遅れ。その唯一の友人2人も2人だけで会話することが多く、私は話についていけなくて、輪の中に入れてもらえてませんでしたからね。
この時点で、コミュ障はかなり重症化してたと思う。
話は戻すけど、私以上に厳しく育てられていた友人は、コミュニケーション能力は高かった。
きっと、幼い頃から両親には相手にされないということは無かったんだろうなと思う。
つまるところ、私の今までの人格を形成してきたものは、家庭環境によるもので、両親にあまり構ってもらえなかったことにより、自分自身も他人に興味が無くなり、コミュニケーションの取り方も分からずに、改善しようにも相手もこちらを避けるので更にコミュ障に拍車がかかってしまった。
そして、些細なことで怒鳴られることが多かったので、より他人に対する恐怖心も強くなり、対人恐怖でさらに悩むことにもなってしまった。
結局こういうことな気がします・・。
コメント
もって生まれたものなんじゃない?
たぶん治らないと思うよ
deds様
どうなんでしょうね。
元からの性格に環境の影響が重なって、負の部分が増長する形になったのかなと思います。